ダーティハリー(1971/米/102分) 映画の感想
サンランシスコの高層ビルの屋上プールで女性が射殺される。犯人「スコーピオ」は10万ドルを要求し、支払わなければさらなる殺人を行うと市を脅迫する。捜査には職務執行のためには激しい暴力も辞さないハリー・キャラハン刑事があたるが、「スコーピオ」は逮捕を逃れ、黒人少年を殺害した後、少女を誘拐し身代金を要求する。ハリーは「スコーピオ」を追い詰め、激しい暴力の末に少女の居場所を聞き出すが、彼女は既に殺害され埋められていた。しかし証拠不十分とハリーの行為が違法であるとして「スコーピオ」は釈放されてしまう。激しい怒りに燃えるハリーは・・・。
「ダーティハリー」という人気キャラを生み、現在まで影響を及ぼす刑事映画の雛型を作った、このジャンルを代表する作品の一つといっても過言ではない傑作アクション映画。監督はドン・シーゲル。主演は本作が生涯の当たり役となったクリント・イーストウッド。その他の出演者にアンディ・ロビンソン、ハリー・ガーディノ、レニ・サントーニら。本作を語る上で、TVドラマ『ローハイド』で人気俳優となりイタリア製西部劇(マカロニウェスタン)でガンマンを演じタフガイのイメージが定着していたクリント・イーストウッドと、「ダーティハリー」の原型となるようなキャラを『マンハッタン無宿』でイーストウッドと組んで生み出したドン・シーゲルを中心とするのが本筋である。だが、ここで私が注目するのはヘズコード廃止後の60年代後半から70年代初頭にかけてのアメリカ映画におけるバイオレンス描写の発現と、この映画の物語に内包される元型的な善と悪の戦いの構図である。本作でよく引き合いに出されるのが、容疑者逮捕の際に遵守されなければならないミランダ警告(アメリカの刑事映画に頻繁に出てくる)で、私も子供の頃にこの映画を観て法律に守られる悪人の姿にやきもきし「スコーピオ」に対して怒りを覚え、法の枠を超え警察官としての職務を投げうって犯人を「裁いた」ハリーに拍手喝采を送ったことを思い出す。そして観終わってこの法で守られる悪人という不条理が頭に残り、この映画を法律の不備とそれを破る型破りの刑事の物語としてそういった観点から考察し理解していた。『ダーティハリー』が公開後批判された要因の一つも、法の執行者たるべき者が採る法を逸脱した激しい暴力性にあった(これは当時の世相にあっては重大な問題定義でもあった)。しかし観返してみると、これは私的見解となるが、そういった法律云々という事はあくまで「スコーピオ」の極悪性犯を高める物語を盛り上げるための道具立てにすぎず、この物語の本質はそういった法律など超越した部分での原型的なといってよい純粋な善と悪の戦いにこそあり、ヘイズコードによる規制がなくなった激しい暴力描写や過激な表現によって示される法に守られた悪人のエスカレートする悪事によって「スコーピオ」の純粋悪はどんどん明確になっていき、法を逸脱し警察官としての職をなげうつ覚悟でそれに対峙するハリーは純粋な善となる(ハリーは無法者のようでいてギリギリまで法を守る立場にいる)。ここには法の届かぬ西部の無法地帯での善と悪の戦いというアメリカ社会の原風景を見ることもできよう(ネイティブアメリカンや黒人の問題とは別に)。イーストウッドの俳優としての魅力やドン・シーゲルの作家性や監督としての力量は当然最大限考慮されるものとしてこの映画が当初、前述したような点から非難され、後に評価が高まっていったのもこういう物語の神話的構造に起因するのではなかろうか。またこの映画はそういった西部の無法時代を超え、神話の世界にまで遡る純粋な善と悪の戦いの物語を、リアルな「現代」サンフランシスコを舞台として繰り広げられるのも魅力だが、サンフランシスコの風俗をどぎつく生々しく描く手法は、本作が70年代的バイオレンス映画である事と共にこれもその当時の有力な映画ジャンルであったモンド映画との近似性もが感じられ、あたかもサンフランシスコ自体が一つの主役のように描かれているのもまた興味深い。
デブラリー・スコット他のヌード
デブラリー・スコットは「スコーピオ」に誘拐され殺害され地下から無残な姿で発見される少女の役。彼女の遺棄された全裸死体が下半身のヘアも露わに画面上に映し出されるとき、数々の凶行を犯してきた「スコーピオ」への怒りは頂点に達し、遠方からその様子を見つめやるせない表情をみせるハリー・キャラハンの感情は観客と一体となり、ここに純粋な善と悪の構図が完全に明確なものとなる。TV放送で初めて観たときにも強い印象を受けたが、後に私はこのシーンをDVDでボカシの無くなった「無修正」のバージョンで観て、遠方からのショットのリアリズムとヘアも露わな少女の裸体の遺体が地下からまさに死体然としてぬるりと現れたときのなんともいえぬ凄惨さにあらためて強い衝撃を受けた。このシーンこそヘイズコードが撤廃され表現の規制が取り払われた70年代初頭のハリウッドにおける「バイオレンス映画」を象徴し代表するシーンだと私は思う。ちなみにノンクレジットで本作に出演し映画デビューをしたデブラリー・スコットはその後女優としてのキャリアを積み、『アメリカン・グラフィティ』の端役などを経て、日本でも馴染みの『ポリスアカデミー』シリーズにわりと大きな役で出演していたりする。
ダーティハリー ウィキペディア
ダーティハリー IMDb
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(18禁画像、日本の法律の範疇外の画像がある場合もございます。ご注意ください。)
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ダーティハリー2(1973/米/124分) 映画の感想
サンフランシスコ、証拠不十分で釈放されたマフィアのボスが白バイ警官に撃ち殺され、ハリー・キャラハン刑事が捜査に当たる。犯人が引き続き犯行を続ける中、射撃大会に出場した際にハリーは細工をし、犯行が、デイヴィスら若手警官達によって組織された犯罪者を法の裁きに委ねずに処刑する暗殺集団によって行われていることを突き止める。ハリーはデイヴィスたちから彼もまた法で裁けない悪人を処罰する同士として仲間になるよう勧誘されるが・・・。
大ヒットした「ダーティハリー」の続編。監督は『奴らを高く吊るせ!』でクリント・イーストウッドと組んだ『続・猿の惑星』のテッド・ポスト。イーストウッド以外の出演者に、ハル・ホルブルック、ミッチェル・ライアン、デヴィッド・ソウルら。法で裁けない悪人を私刑にする警察内部の暗殺集団とハリーが対決するという前作のテーマを踏まえた内容となっていて、犯人たちがハリーを同士として誘ってくるところや、悪人の私刑の是非など、続編として両作が対となっているところがおもしろい。また、前作で印象的だったサンフランシスコで起こる物語の本筋以外の犯罪にハリーが対処するシーンや、前作ではあまり描かれなかったハリーのプライベートの描写も増え、ラストの空母の上での対決などスケールも大きくなり、前作のテーマを逆転的発想で踏襲している所とともにこれぞ続編らしい続編の作り方といった感じでそこも良い。ここら辺、監督の『続・猿の惑星』にも通じるものがあり、脚本にジョン・ミリアスやマイケル・チミノといった才人が係わっていことも大きいように思う。ただ、本筋と関係ない描写やハリーの日常性を描くことは大ヒット作の続編として娯楽映画としては正解だが、そのことで純粋悪との戦いを描いた前作のような原型的なシンプルな物語の強さや緊張感は薄まってしまっているのは残念なところ。ちなみにアーノルド・シュワルツェネッガーがクリント・イーストウッドを、とくに「ダーティハリー」シリーズにおける彼をリスペクトしていることは知られているが、シュワルツェネッガー演じるキャラにイーストウッドの影響があるのは明らかで、「ターミネーター」シリーズのジェームズ・キャメロンが直接影響を受けているのかどうかは知らないが、『ターミネーター2』と『ダーティハリー2』には共通する要素があってこれも興味深い。これは前作のテーマを逆転的発想で踏襲している所やキャラクターの深堀りなどもそうだが、感情が読み取れない白バイ警官のビジュアルやクライマックスの対決シーンなど他にも相似点は多く、キャメロンが意識してやったかはともかく(潜在的には十分あり得る)、映画史において、大ヒット映画の続編で一部では酷評もされているこの作品の影響は思いのほかに大きいのかもしれない。
スザンヌ・ソマーズ他のヌード
スザンヌ・ソマーズは、プールで泳いでいるところを撃たれて殺される女の子の役。彼女はその後主にTVドラマの女優として成功し、また美容系・健康系の本を出版して一時その業界のカリスマ的存在ともなっていた。デブラリー・スコットにしても、スザンヌ・ソマーズにしても無名の女優としてヌードモデルとして映画界に現れ(『ダーティハリー2』はスザンヌ・ソマーズのデビュー作ではないが)、その後二人とも成功したというのはおもしろい(二人とも『アメリカン・グラフィティ』に端役で出演している所も共通している)。こういう話はたくさんあるようで意外と少ないが、端役とはいえ有名映画に出演し人々の心に残る印象的な役を担ったという事は二人の後のキャリアとって大きかったのかもしれない。
ダーティハリー2 ウィキペディア
ダーティハリー2 IMDb
ダーティハリー2 スザンヌ・ソマーズ他のヌード画像へのリンク
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The Malpaso Company Warner Bros.