ラストタンゴ・イン・パリ(1972/伊/仏/129分) 映画の感想
パリのとあるアパートの空き部屋で中年の男と若い女が出会い、男は女を犯す。惹かれあった二人はその部屋を借り、性的関係を重ねるが、男は互いの素性を明らかにすることを拒む。男はポールというアメリカ人で最近妻が自殺したことで気がふさぎうらぶれていた。女はフランス人のジャンヌといい、映画監督の恋人がいた。ある日ポールはジャンヌのア〇ルをレ〇プまがいに犯す。ポールはジャンヌを性的に支配し、挙句の果てには関係を一方的に絶ってしまう。しかし未練が残るポールは彼女に復縁を持ちかけ付き纏う。だがジャンヌがそれを頑なに拒否し・・・。
当時その性描写の表現や過激さを巡ってセンセーションを巻き起こしつつ世界的に大ヒットしたベルナルド・ベルトルッチ監督による官能ドラマ。出演者はマーロン・ブランド、マリア・シュナイダー、ジャン=ピエール・レオ他。本作は私のフェイバリットな映画の一つだが、なぜ私がこの映画が好きなのかを考えるとき、レイプまがいの性的関係によって始まった互いに素性を知らぬ年の離れた男女の関係を、アパートの一室という閉じられた空間のなかで、生々しいセックス描写を交えながら語っていくというこの映画の構成が、まず先の読めない男女の愛情の物語として興味をひき、性的刺激を多分に含んだ覗き見感覚を生み出し、非常に魅力的であるということが上げられる。その物語は、支配的だった男と女の関係が逆転した瞬間中年男のみじめさがこれでもかと露わになり、それまでにアパートの外側で描かれた二人のそれぞれの人間ドラマも効果的に作用しつつ、古典劇のような含蓄を含んだ悲劇的なドラマとして収束し感銘を受ける。それを演じるマーロン・ブランドやマリア・シュナイダーの演技も素晴らしい。撮影は二人にとって過酷なものであったようで、とくにマリア・シュナイダーに関してはア〇ルレイプのシーンなどが即興的に撮影されたことで精神的負担も大きかったらしく、後年までそれは『ラストタンゴ・イン・パリ』めぐる論争の種となった。マリア・シュナイダーへのハラスメントがあったかなかったかはここでは置いておいて、『ラストタンゴ・イン・パリ』の二人の男女の感情の赤裸々さリアルさは、そういった撮影現場における「緊張感」からも生み出されたものなのであろう。そしてこのような映画の魅力的な構造や、監督の演出力、役者の素晴らしい演技に、ヴィットリオ・ストラーロによる美麗な映像、ジャズ演奏者であり作曲家であったガトー・バルビエリの音楽、映画冒頭のフランシス・ベーコンの絵画、ロケ地となったパリの風景などが加わり、この作品を映画表現の高みに押し上げている(本作はアート映画としても娯楽映画としても最上だと思う)。ちなみに本作の作品としての本領はヘア無修正版(この言い方もおかしいが)でしか味わえないものであり、日本では『ラストタンゴ・イン・パリ』の真価はヘアが解禁された90年代(実際はDVDが普及した2000年代)以降ににおいてはじめて推し量れるようになったたと私は考える。
マリア・シュナイダーのヌード
前述したように主演二人にとってはつらいことも多かった撮影現場であったようだが、本作における二人の演技、演技というよりもある種の実在感は素晴らしく、それにはマリア・シュナイダーが大胆なヌードを披露し赤裸々なラブシーンに挑んだことの貢献も大きい。むろん大スターであったマーロン・ブランドの演技力やカリスマ性あってこその『ラストタンゴ・イン・パリ』であるが、マーロン・ブランドは本作の前年に『妖精たちの森』において本作の役の原型ともいえる役を演じており、彼の本作における位置づけや演技やについてはある程度予測のつくものであった。それに対し新人女優と言ってよかったマリア・シュナイダーが、少なくとも作品の中ではマーロン・ブランドに対し一歩も引けを取っていないところは称賛に値する。
ラストタンゴ・イン・パリ ウィキペディア
ラストタンゴ・イン・パリ IMDb
ラストタンゴ・イン・パリ マリア・シュナイダーのヌード画像へのリンク
(18禁画像、日本の法律の範疇外の画像がある場合もございます。ご注意ください。)
Produzioni Europee Associati Les Productions Artistes Associés United Artists
マリア・シュナイダーがヌードになった映画
マリア・シュナイダー(Maria Schneider、本名:Marie Christine Gélin、1952年3月27日 − 2011年2月3日)はフランスの女優。
1971 花のようなエレ Hellé
1972 ラストタンゴ・イン・パリ Last Tango in Paris
1979 夜よ、さようなら La dérobade